私が東洋医学の道に進んだことについて

昨年2月から大阪天王寺区倫理法人会に所属しています。

宗教的なイメージでしたか、まったくそんなことはなく、簡単に説明すると大人の道徳、純粋倫理を学ぶ場です。

最初は、講話を聞きながら、「うん、うん、知ってる」って思っていたのですが、実践できていないことが多いことに気づかされました。

100日実践というものがあるのですが、そこに向かう気持ちや相手がいれば、様々な葛藤もあります。

そういう大切なこと、自分の在り方も考えさせられます。

先日、自分にも講話の順番が回ってきました。今回は20分という短い時間ですが、まとめていく中でもいろいろな想いが湧き上がってきました。

少し、自分の生い立ちを話したので、仕事のことも含めて、ここにも残しておきます。

この仕事をスタートして来年20年目。やるべきことをしっかり見つめ直し、実践するために。

◆私が東洋医学を仕事に選んだ理由

〜生まれてから整体に出会うまで①〜

私は、徳島出身の父と大阪市出身の母の間に生まれて、大阪で一人っ子として育ちました。
父は、とにかく厳しい人で、恐くていつも父の顔色を見て、静かにしていれば大丈夫と思
うようになり、とてもおとなしい子どもでした。

小学生の時には、体が弱くて、通院もしていましたし入院したこともあります。
少し運動制限があった時期もあって、スポーツも苦手でした。なので、周りの明るくて活発な
クラスメイトを見ていて、いつか私もあんなふうになれるのかな、なりたいなと思っていました。

静かでおとなしかったのですが、小学生の時、ハーモニカの授業で、先生に褒められてとてもうれしかった記憶があります。
その頃から、少し明るくなってきたように思います。
いま、クロマチックハーモニカをしてますが、このことが大きく影響しています。

高校に入るころから、体力も付いてきて、通院とかはなくなったんですが、毎月片頭痛を起こしては、保健室で寝てるということもありました。
その高校で夫と出会って、同級生だったんですが22 歳で結婚しました。

その後、年子で女の子を出産しました。その直後、腰椎椎間板ヘルニアを発症して、お医者さんにこれは一生つきあっていかないといけませんよって言われて、そんな一生つきあっていきたくない、これは自分で治す方法を見つけるしかないなと思いました。頭痛も続いていましたし、そこから色々調べるようになりました。それが今のセルフケアをすすめているきっかけになりました。

その後、30 代の時におたふく風邪から髄膜炎になり入院します。でも完治せず、担当のお医者さんから、東洋医学に移行しましょうと言われて、退院して、鍼灸を受けて完治できたという経験があります。

東洋医学に助けられたこの経験が、その後東洋医学を勉強するきっかけのひとつになっています。
自分でいろいろ調べていく中で、皮膚を引っ張る施術というものに出会い、資格を取得することになります。